20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商業道徳の欠如が目に付くようになっていました。
ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に耐えかね、友人3人と語らって、お互いの信頼できる公正な取引をし、仕事の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。ロータリーとは集会を各自の事務所を持ち回りで順番に開くことから名付けられたものです。
こうして1905年2月23日にシカゴロータリ?クラブが誕生しました。
それから志を同じくするクラブがつぎつぎ各地に生まれ、国境を越えて、今では世界209か国(2009年5月現在)の地域に広がり、クラブ数 33,581、会員総数1,233,017人(2009年5月31日RI公式発表)に達しています。
そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリ?と称します。
このように歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んじる実業人、専門職業人の集まりなのです。その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリ?は世界に目を開いて幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面に渡って多大の貢献をしています。
わが国のロータリークラブは1920年(大正9年)10月20日に創立された東京クラブで、翌1921年4月1日、世界で855番目のクラブとして国際ロータリーに加盟承認されました。
日本でのロータリークラブ設立については、ポールハリスの片腕としてロータリーの組織を作り、海外拡大に情熱的に取り組んだチェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功を忘れることが出来ません。
その後日本のロータリーは第2次世界大戦に洗われて、1940年国際ロータリーから脱退します。戦後1949年3月になってふたたび復帰加盟しますが、このとき復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。
その後の日本におけるロータリーの拡大発展はめざましいものがあります。ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。現在、日本全体でのクラブ数は2,316、会員数97,432人(2008年3月末現在)となっています。